トレーナーと投手コーチとの連携で投手の管理がとても楽になる

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投手コーチとの連携で投手の管理がとても楽になる

巨人軍、二軍時代にトレーナーとしての実績を積むためにずっと実験していたと前記事にも記したが、90年代初めに当時の二軍投手コーチであった、宮田征典氏とキャンプの時にいろいろと話しをしていました。そのシーズンに誰をメインに勝たせるか、誰をメインに中継ぎ、抑えとして使えるようにするか?・・・です。そういう話をして、実行に移していったのです。これが、トレーナーと投手コーチとの連携で投手を作り、管理していくという考えです。このシステムを構築するにあたり、私個人の調整技術、治療技術が、そのシステムにマッチングするかは、実践していくしかありません。これは、他のトレーナーには出来ないことであり、そういう話は内輪ではしませんでした。

宮田コーチは、とても私のことを理解してくださり、話をよく聞いてもらえたコーチ陣のひとりでした。その期待に答えるように、投手の調整を完璧に出来るように修行しました。

宮崎キャンプからの実践開始

宮崎キャンプでは、トレーナー陣は、投手、野手、ベテラン組などとクールごとに担当を回していました。私は、投手担当になった時には、ずっと宮田コーチのそばでいろいろと話しをして、投手の特徴や、誰を先発として育て、いずれは一軍へ上げていくのか・・・とか、中継ぎとして誰を作っていくのか・・・とか意見交換をしていました。投手の肩の作り方、制球力の作り方、先発なら中4日、中5日のローテーションをどのように過ごすかなど、いろんなシチュエーションを考え、話題として勉強しました。

他のトレーナーは、これが出来ないのです。二軍ですから、まだまだ技術が足りません。だから、このシステムは、私と宮田コーチとの裏での作戦でした。

故宮田征典氏
故宮田征典氏 ネットからお借りしました。

シーズンに入り、本格的に始動

さて、シーズンに入り、本格的に始動したわけですが、トレーナーの分野、投手コーチの分野、チームとしての分野で戦略が違うわけです。二軍とは言え、育成とは言え、当時は勝利することを一番に考えていたのです。いかに勝つか?ということを選手に教えていく必要があったのです。今では、育成重視ですから、勝敗は関係ないということになってますが。
私には、特殊能力?があって、ある程度の近未来がイメージとして浮かび上がってました。ある試合の先発投手を調整したら、その投手が何回何失点するのか?とか、どういうパフォーマンスをするのか?がイメージとして出てくるのです。90%以上、イメージ通りになっていました。これは、野手にも同じことが起こりますが、投手だと、「完封」と思えば、完封できていたのです。それだけ、自分の調整治療に自信が持てたと言うことでしょうか。今は、そういう境遇にはまってないので、あまりイメージできませんが、たぶんかかりきりになれば、またイメージできるようになるかと思います。

二軍の遠征に帯同した場合、必ず宮田コーチに先発、中継ぎの状態を報告していました。相手がいることなので、突発的な事が起こる可能性もありますが、基本的に私の報告通りに試合が進んでいました。先発投手にも、自分のイメージは話しています。信頼があれば、そのように選手が動くからです。また、先発投手が不調だと感じたら、次を誰にするとかも必ず聞いておきます。先発投手が、3回しかもたないと感じたら、そのように報告していました。つまり、次を待機させることが出来るのです。中継ぎも考えておけるのです。それが、投手を管理するということであり、楽になるということです。

ほぼ思った通りの結果が出た

そのシーズン、ほぼ思った通りの結果が出せたのです。
ある投手は、先発としてそのシーズンは最多勝利投手となりました。ある投手は、ある試合で最多奪三振記録を更新しました。一軍へ呼ばれた投手もいます。また、一軍のベテラン投手も不調で二軍に来ても、すぐに治し、再度一軍へ復帰など、大忙しのシーズンでした。試合に勝つというのは、そんなに難しいことではありません。しっかりと調整した投手と、ラッキーパーソンの野手を調整するだけで、ほぼ勝てます。それを実証したシーズンだったのです。

最後の最後、優勝決定戦では、予言通りの結果が出せたのです。先発投手、橋本清投手は、7回2失点、そして中継ぎ、抑えで木田優夫投手が0失点で、うちが3点以上取れば勝ちですと予言。うちが5点?だったか取ったので、勝ちです。

まとめ

自分が調整した投手は、全部、宮田コーチに報告していました。何回までで何失点、中継ぎを誰にするかを聞いて、作る・・・完璧でした。つまり、投手を計画的に休ませることができ、管理できるということです。投手コーチの範疇ではあるけど、トレーナーとの連携でより管理が楽になるのです。しかし、それが出来るトレーナーはいない。トレーナーはそういう仕事ではないと思っているのか、それとも出来ないのか・・・ 私には、自分がそういうことに関心を持ち、試合の勝敗を管理できるなら、やってみたいと思うのだが。実際、やれば出来るのです。試合の80%以上の勝ちは、トレーナーの技量次第だと思っています。あとは、監督、コーチの戦略でしょう。

 

いいですか?・・・

こんな話が出来るトレーナーは、いません!いないのです!ひとりも遭遇していません。今だと、投手の起用に関して口出しするな!で終わります。ならば、裏で隠れて作るくらい考えろよと思います。
選手を作れないし、どんなパフォーマンスが出来るのかを言うこともできない。私が考えるトレーナーとはまったく違うものです。はっきり言って、何も出来ない、まったく使い物にならない。言い過ぎかもしれませんが、現実です。

けなすとか、そういうつもりはないけど、現実に、トレーナーの質が上がってこないのは・・・事実!それは、教育というバックグラウンドが違うからでしょう。

こんなこと、学校で教わることなどありません。治し方、調整の仕方を教わることはありません。もし、それがわかる師匠に付いたとしても、どうだろう?理解できるだろうか?

どこに、何回何失点ですって言い切れるトレーナーがいるでしょうか?しかも、ほとんど言い当てているという事実。

完封できると自信があれば、そのように言っていました。そして、ちゃんと完封しているのです。

私は、そういうトレーナーを育てたい。

いつでも待ってますよ。そんな考えを持つ人っているのかな???

 

還暦を過ぎた院長ですが、ご要望があれば臨時のトレーナー、まはたトレーナー育成係として引き受ける気持ちがあります。いかがでしょうか?

 

 

 


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矢作治療院院長 矢作晋

矢作治療院院長 矢作晋

矢作治療院院長 矢作晋 1960年大阪生まれ プロ野球トレーナー歴51年の父の影響により、マッサージ師の国家資格を取得後に西武ライオンズにトレーナーとして入団。その後、大洋ホエールズ、読売巨人軍と渡り、21年間選手のサポートをする。2007年に日本橋に治療院を独立開業させる。独自の矢作式手技整体治療にて多くの腰痛、ひざ痛の患者さんを助けています。2020年4月に栃木県矢板市に移転。現在に至る。

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矢作治療院院長 矢作晋

矢作治療院院長の矢作晋と申します。当院では、あなたの痛みを解消、正しい体へと復元し、健康と最高の笑顔を取り戻すことを理念としています。腰痛、膝痛、肩痛だけでなく、プロ野球トレーナー(元巨人軍トレーナー)の経験からスポーツ障害に対しても得意としています。矢作治療院に来て良かったと言われるよう日々研究しておりますので、ご遠慮なく何でもご相談下さい。お待ちしております。

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